Next Time Around

僕はときどき思う。僕はあのとき僕の周回遅れの証拠をつかんだ。それは必要な認識だった。でも僕はあまりの苦しさにそれを投げ捨てた。だから覚えてない。それが真実なんじゃないかって。

 だとしたら、とシライシさんが言う。だとしたらどうすんの。死ぬまでごまかす、と彼はこたえた。あれが真実だとしたら、きっとあれが最後のチャンスだったんだ、周回遅れをどうにか取り戻す苦しいけど最後の。でももうそれはとうに失われた。僕はこのまま死ぬまでそれをごまかすしかないんだ。

周回遅れの証拠 - 傘をひらいて、空を

能力に見合わない場にいる人は、そりゃいるでしょう。でもそこが今の「自分がいるところ」なんだ。今の自分が自分なんだ。それがわかんないやつは、俺は、嫌ですよ、気持ち悪い。

自分を探せない - 傘をひらいて、空を

静かな文章を書く人がいる。自分の文章はうるさい。

not enough memory
2007-11-13 (via onehalf, taizooo) (via ishida) (via tayu-tau) (via deli-hell-me) (via umi82mizuiro)
Via Row, row, row your boat

自分がされて、嫌だったことを人にしない、っていうアプローチは、異なる価値観を持つ人との関係では逆効果になることもある

Twitter / @so1_ (via jinon)

自分がされて嬉しかったことを人にする

(via pcatan)

なんでそうしたか/しなかったかが説明できればいいのよ。背景なく他人にアプローチしても成功なんてのぞめないのよ

(via petapeta)

Via PETAPETA

初めての本を出した時、印税生活だね!おごって!って言う人が多い中、努力が実っておめでとう、お祝いにご馳走するよって、真逆のことを言ってくれた人がいたことを思い出しました。人の成功には必ず陰の努力がつきものだと忘れない人でありたい。

Twitter / @ha_chu (via shima-ken)

(Source: ishida)

Via がががっきー

私たちがいるのは華やかな世界ではない。特別に待遇が良いのでもない。
私たちはただその仕事のほとんどあらゆる側面を嫌いではなく、そうして、その一部をとても好きだった。なにより、自分たちに与えられる裁量を愛していた。
それは私たちのてのひらにぴったりとおさまる大きさの、なめらかな感触をした自由だった。
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おそらくそれをずっと求めていた。あなたは役に立つ、あなたは必要だと言われたかった。
敬意をもってそう言われたかった。
代替可能な職業人であることと、それは矛盾しない。
少し広めの等号記号で結んでもいい。

巨人たちの都市 - 傘をひらいて、空を

ふつうふつう、と突然上長が大きな声を出した。あの人はふつう。人間に対してはね。あの人の認知する人間は自分と関係ある人、いつも仕事で接点ある人とか。あとえらい人。自分の上司とか、役付の人間。残りはねえ、なんていうか背景。そして彼はえらい人の言うことをする、それが彼の仕事。

悪意の不在と引けない椅子 - 傘をひらいて、空を

どうかそれを育てないでねと私は小さい声で言う。あなたの認識はとても適切だけれど、事故の様子を生々しく思い出さないでいてね。------------------


私はその二本の脚の動くのをたしかめ、ひそかに安堵のため息をつく。よかった。みんな生きていてよかった。明日になったら、私たちが幽霊でないことの危うさを、どうか忘れていますように。

どうか忘れていますように - 傘をひらいて、空を

「機が熟すことなどない」

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 - 情報考学 Passion For The Future (via fumitsuduru, gatya) (via thinkupstudio) (via nemoi) (via dannnao) (via oosawatechnica) (via hepton-rk) (via mitukiii) (via toshied) (via tokunoriben) (via kiri2) (via clione) (via doubledispatch) (via vmconverter) Via tumblr:リンクとか備忘録とか日記とか

作戦を立てるときには補給、戦略、戦術の順番で、報告するときには戦果、戦略、投入された物量の順番で考える。昨日の菅総理の会見、原子力発電所への海水注入を報告したときは、全く逆をやっていた

Twitter / @medtoolz: 作戦を立てるときには補給、戦略、戦術の順番で、報告す …

この考え方、仕事場に貼っとこ

(via mnky)

Via PERURI's tumblr

このまえ、雑誌のインタビューで、「タイトルをどうやって考えるのか?」と質問された。どうやって考えるのか、というようなことが言葉で「こんなふうです」と説明できるとはとても思えないが、「まあ、そうですね、3カ月くらいかけて、200や300の案を考えて、そこから絞り込みます」と答えたら、驚かれた。
 「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。

MORI LOG ACADEMY - 本当に考えたの? (via katoyuu)
2007-12-19 (via gkojay, degres)

2009-06-13

(via gkojay) (via footwork) (via usaginobike) (via ishida) (via jabberokkie)

(via vvct) (via macotoi) (via diegoro)

Via 干されGimme

ぜんぜんたのしくないんだよな。

  

女の子が不細工だとかそういうことではない。曲が合わないとか会話に入れないとか、そういうのも関係ない。そんなに言うほど仲いい人たちじゃないとか、そういうのも違う。男ばかりだったらとか、女ばかりだったらとか、そいうのも関係ない。ただ、こうやって集まって盛り上がるとかが鬱陶しい。自分は一人で居るほうが気が楽だ。本当に、経験するたびに思う。そういう自分に気づく。でも、誘われたら行く。なぜなら、リア充に憧憬があるから。でも、そのたびにまた現実にぶち当たる。馴染めない。

  

自分リア充になれないのは、そういう環境に身を置けないからではなく、その状況を良いと思えないことにある。

僕が憧れているのは、僕が羨ましいのは、「その状況を楽しいと思えることそのもの」だった。

リア充になれない本当の理由

ら抜き言葉は批判の的になるが、
「可能」と「受身」を区別できるという点で日本語の進化とも言える
この点で容認している日本語学者も近年増えてきた。

食べれる=食える、の一択
食べられる=食われるのか食えるのか分からない

誰も知らないような学問知識書いてけ:哲学ニュースnwk (via yasunao) Via 重箱の蓋の裏

よく、「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」だの言われる事があるけどアレは大嘘。

実は嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど人にもそれを強いる。

不幸な経験をした人間ほど人を不幸にしたがる。 (via gkojax) (via mossagate) (via cxx) (via hanemimi) (via otsune)
2008-07-09 (via gkojay) (via luft2501, mcsgsym)
Via tumbluft.

羽生善治氏「経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて、たくさん考えないということ。経験を積むことによって不必要な情報は捨てられる。足し算の蓄積で経験が生きるということではなくて、無駄なことを省くことができるというのが本当の意味での経験を生かすということなのかなと思っています。」

Twitter / 孫泰蔵: 羽生善治氏「経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて … (via gothedistance) Via Ayashik@
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